南紀勝浦旅行(2013年3月) 2日目
どうも~。
いよいよ夏本番も迫ってきて、毎日がハイテンションになりそうな私でございます。
今日は前回紹介したこの記事
南紀勝浦の続きを書き上げたいと思います。
最初から読んでないという方は最初から読むことを特に・・・おすすめしません((←
でも、話の流れ的には1日目の続きだから・・・。
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5:50
おはよーございます。紀伊勝浦のホテル浦島より。
今日はあの空を見ているとなんだか晴れそうです。これは嬉しい!!
さ~あ、これから風呂入って朝ごはん食べてそして(ry
省略(というか写真がない)
朝食も済ませて今は9時ごろ
これからは長~い長~いエスカレータを登って狼煙山遊園(以下、山上)へ。
もちろんそこも浦島の敷地内です。
ほんっとうに広いねぇ。
その山上からの眺め。
こちらは勝浦側。絶景と呼ぶに相応しい。
遠くの山まで見えます。
そしてこちらが皆さんお待ちかね?の太平洋側。
もうこちらは遮るものはなし!遥か向こうはもう違う国!!(もしかしたら、というか高確率で離島かもしれない。)
向こうも絶景ですけど、こっちはこっちで楽しいです。はい。
にしても本当に綺麗だ~。
この景色が山上館からだとずっと見れるわけで・・・。
羨ましい限りです。
ちなみに中央に見えるのは・・・。
山成島という島だそうです。
この島は、平清盛の孫、平維盛(たいらの これもり 1158~1184)が入水自殺した島だと平家物語上ではそうなっています。
詳しいことは看板右下にありますが、見えない方は・・・申し訳ないです。拡大してみてください・・・。
この、平維盛なる人物について、簡単に紹介すると・・・。
平維盛は、1158年、清盛の長男の平重盛の長男として生まれました。顔立ちがイケメンで、美男子と評判だったそうで、光源氏の再来と言われたほどだったそうです。
そんな維盛の経歴ですが、簡単に有名そうな出来事をあげていくと・・・。
1180年5月26日、後白河法皇の息子、以仁王の挙兵を鎮圧させるために叔父の平重衡とともに宇治へ出陣、勝利。
このときは清盛さんに散々にしかられ、なんと京へ入れさせてもらえなかったそうな。
1183年5月、倶利伽羅峠の戦い(源[木曾]義仲vs平維盛) 維盛敗北。
同年7月、平氏は都を落ち、西へ逃げ延びる。
1184年2月、源義経の鵯越で有名な一ノ谷の戦いの前後、維盛は南海へ向かったと見られている。そしてその後、高野山に入って出家し、熊野三山を参詣したのち、あの上の写真の山成島に渡り、松の木に祖父、清盛と父、重盛と自分の名前を書いた後、船に乗り沖に漕ぎ出して入水自殺した。享年27であった。
・・・なんとも壮絶な人生。
この頃の平氏は、だいたいの人物がこのような壮絶な人生を送っていたのです。
そしてこの山上にある、浦島稲荷神社。
とてもとても立派な神社です。これがホテルの敷地内だなんてもう驚きです。
なんとおみくじまであるとのこと。私はそんなことまであるだなんて知らなかったので、引くことができず終了。
そしてそしてこの写真、ただの普通の山の写真に見えますが、よーく目を凝らして見てください。那智の滝が写っています。
写真中央のちょっと上らへん。ちなみに右上の斑点はカメラレンズにいつからかできてしまったキズです。
この山上の雰囲気は、とにかく、「和」ですね。
日本らしい風景でしょう。
時間も結構過ぎたのでここらでホテルからチェックアウト。
とても良いホテルでした・・・。
ここはもう一度でも来たい!
続いては、船に乗ってくじら浜方面へ。
遊覧船っぽい感じのやつです。
よく海が見えます。これは気持ち良いだろう。
後ろを見ると・・・。
ホテル浦島、が見えます。
最後の別れです。
だんだんと船は外海へと駆け出して行きます。
もう海が大好きな私にとってはタマラナイです。Ocean Arrowみたいだw
とても綺麗だし。
いよいよ外海へ。しぶきをあげながらどんどん進んで行きます。
海面はキラキラ光ってる。もう最高だよ!!
夏を感じる。
は~い、太平洋でーす!!
輝く青い海、いいですねー・・・。
本当に天気が晴れてて良かったなと思いますよ。
おっと、ボケてしまった。
実はこの旅行で使ったカメラは今現在使用しているものと違うんですね~。だからときどき写る斑点は許してくだされ・・・。(2013年冬の旅行まで使用)
太平洋の荒波に揺られる・・・。
こちらは浦島の裏側だった気がする。いやでも違うかなぁ・・・。
もう2年前の出来事ですからねw
あんまり覚えてません((
大波に揺られながら南へ南へ・・・。
ところどころで島々が見えます。あの島、なんていう島なんだろう。
すみませんカメラ乗り出し過ぎました・・・。
もしこんなところでカメラ落としてしまったら泣くに泣けない・・・。
注意しましょう。
それにしてもやはり白く光る海面が素晴らしい。気持ちいい気持ちいい。
光る海面。
さっきから似たような写真だけどあと何枚かだけお付き合いください!本当に良かったんでw
・・・・・・波に揺られて・・・、だんだん腹痛と酔いがきてしまいました。
このままいるとゲ●(オエエエエ)するかも知れないので一旦客室内へ避難したいと思います・・・。
このときが初めての船酔いでした。
景色がきれいだからもっと見たかったんだけどな・・・・。
5分後
結局無理をして再び客室外へ出ることに・・・。
透き通るような青色。
あの真ん中に見える建物付近のところ、温泉らしいです。
ズームで。
確かツアーかなんかで入れたって聞いたような気がしますw
まさに絶景の秘湯ですね。
浦島を出発して約30分・・・。
私にしては長い長い航海だった気がします。でも30分。
2日目、1つ目の目的地が見えてきました。
1つ目の目的地は・・・。
太地町立くじらの博物館です。
はい、最近何かと話題になっているところです。でも、ここではその話については触れません。
というか、このときは2年前ですから何もありませんでしたが。
やっぱり、イイね。私は正直動物園よりもこういう水族館的なところのほうが好きです。
なんか、爽やかでとてもかっこいい。
エサをあげることもできます。寄ってくるのが可愛らしいよ。
悠々と泳ぐ。やっぱり爽やか。もう本当に(ry
13時30分ごろ、われわれはくじらの博物館を後にした。
また来たいな・・・と思わせるようなところだった。
駐車場には桜が。
どうでしょう、私の地元でも咲いてるんかな?
南国を思わせる木々、歩道。
最高のロケーション。本当に良いよ。
なんか、沖縄にいるみたい。
近くには船も。時間がなかったのかもう忘れましたけど((、何故か近くまで見に行ってませんね・・・。
もう行けるかどうか分からないのにすぐ目の前にある獲物を逃がすなんて・・・。
船乗り場近くのロータリーにある、くじらのモニュメント。
裏は噴水になってます。
太地の地にお別れを告げ・・・。
帰りも同じく船で。
もう船には乗りたくありません・・・。
なんで電車は16時間乗っててもなんともないのに船だとこんなに船酔いするんだろうなぁ?
輝き、透き通り、もう最高な海。そして晴れ。
本当に感動モノだぞこれは((何を言ってるんだ
まあ、私はこんな海が大好きだよーってことですね。
約26時間ぶりに紀伊勝浦駅へ。
もうこれで勝浦とはお別れです。また行きたい!!
ホームに行くと、例のボンバーが。
一応、臨時の南紀です。
楽しい楽しい((
これから乗車するのはこの列車。
283系、「くろしお9号」です!
初めての283系です。今まで大好きで憧れの列車だったので乗れるとはもう大大大興奮です!
とは言っても乗車時間はわずか15分ほど。
下にこのときのことを詳しく書いた過去の記事があるので、詳しくはそちらを見ていただきたいと。
283系の座席。薄い。薄過ぎる。
でも窓のでかさと乗り心地は申し分ないですが、窓の大きさはやっぱり「ワイドビュー」のキハ85系のほうがでかいです。
乗り心地についてはキハ85系に乗ってきたからなのでしょうかw
たったの15分で新宮に到着。
また、機会があればもっと長時間乗りたいですね~。
この15分間について、詳しくはコチラをどうぞ。
新宮駅で283系をたっぷりと撮影した後は帰りの南紀まで時間があるので新宮の街を探索します。
これから向かう場所は・・・。
静かな住宅街の中を進みます。
ずっとまっすぐ行って・・・。
森の中を歩いて・・・。
もう、どこへ向かっているかはお分かりかと思います((分からねーよw
はい、堤防です。ということは・・・。
堤防の向こうに見える景色が楽しみ。
近くまで行かないと見れないっていうパターンが大好き。
堤防の向こうに見えた景色とは・・・。
海。
またの海です。いやー本当にね、こういう場所来ると必ず海に足が向かっちゃうんだよねw
何回目なんだよ本当にw
でも、本当に綺麗だ。
堤防に立ち尽くす。
うんうん。
やっぱり近くまで行きますよ。
ザッパーーーーーン サーーーーーー・・・。
波の打ち寄せる浜辺((分かってるよ!
綺麗とは言ったけど、でも、海の色が・・・。
浜辺から右(南西)方面を望む。
熊野灘の広さが分かる気がします。
もう、あとは写真で感じていただければw
そして、こちらは左(北東)方面を望む。
もう少し向こうに行くとあのでかい熊野川の河口にあたります。そのためかなんか南西方向と雰囲気が違う気がしますが、気のせいかな??
新宮の海を楽しんだあとは勝浦のように歴史探索へ。
完全に生活道路のような雰囲気。
これから向かうのは・・・。
はい、ここですね。新宮十郎行家(源義盛)屋敷跡です。
マイナーすぎて分かりませんよね。
なのでこの人物について先ほどの維盛のように簡単にまとめてみますよー。
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1141~1143年頃、生まれる。しばらくこの新宮に住んでいたため、新宮十郎と名乗る。
1159年 平治の乱。新宮十郎は兄・源義朝(頼朝の父)に従軍するが、敗れ、戦線離脱して熊野へ逃れる。その後20年ほどは熊野に滞在する。
1180年 以仁王(後白河法皇の息子)の平家追討の令旨を源氏の各武将に届ける。この頃、行家と改名する。
その後は幾度か戦いへ参戦する。
1185年 行家は、当時頼朝と不和になっていた義経と接近する。しかし、頼朝が大軍を率いて上洛する姿勢を見せると、義経・行家一行は都を落ちる。
その後はしだいに追い詰められ、1186年、北条時定の手兵によって捕らえられ、長男・次男と共に斬首される。
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といった感じです。
まあ、簡単に言えば、この人、平家追討の令旨を届けたある意味重要な人物でもあるのです。
ちなみに、特に遺跡は残っておらず、現在は案内板のあるところは駐車場になっている。
たくさん話しましたよw
屋敷跡を見物した後は再び駅へ戻ります。
なんかとても静かなところだった、ていう印象が残ってます。
しばらく歩き続けると・・・。
新宮駅へ戻ってまいりましたー・・・。
くろしおの終着駅でもあるだけに、駅は結構大きいです。
これから私が乗車するのは、17:28発、ワイドビューの南紀8号です。
まだまだ40分ほどあるので新宮駅で西日本の電車を見ようかと思います。
今はどうか知りませんが、ちょっと前はトイレがなかったらしいです。そしてロングシートなんだねw
こんなので紀勢本線乗るとか通勤輸送なら良いでしょうけど、観光だったら泣けますねw
と待っていると・・・。
廃車間近な381系「くろしお」が入線です。とはいえ、2年前でしたから、当時は廃車になるなんて考えてなかったですけども。
振り子のためでしょうけど、屋根が低くてパンタがでかい姿はちょっと不格好!?
2番線には、東海の気動車キハ48形が停車。
この新宮でJR東海とJR西日本が分かれるので、ここでは双方の列車を見る事ができます。
もうそろそろこの景色も見納めなのですね。
289系に期待・・・できないですね。オーシャンっぽく塗装してくれるのならまだいいんですがね。
と待っているとやってきました。
シカ車です。やっぱりこいつは迫力がある・・・!!
「名古屋」の幕。これで和歌山県とはお別れです。
そして私は地元へ帰りついたのでした・・・。
~終わり~
ふう・・・やっとひとつ終わったぁ。